2011年10月12日

災害時における自己責任

町の広報に、町民大学講座「金沢大地震にそなえよう」がのっていた。

石川県は津波による被害が想定されている地域。地震が起きてから数分で津波はやってくる。自分のところで大きな地震があったら、ニュースを見る前に逃げなくてはならない。指示されるのを待つのではなく、自分で考えなくてはならない。
自分たちが置かれている危険性、いざというとき何をしなければいけないかをわかっていれば、地震が起きたときに逃げることができる。知らなければ何もできないので、学ぶことが大事。情報や知識に基づいた学習が、いざというとき自分の命やまわりの人の命を救う。

地震は備えることで助かることができる。知恵と学びでカバーできることもある。

@ 自分の命は自分で守る(自助)
A 家族・近所で助け合う(共助)
B 行政機関による救助(公助)

阪神淡路大震災の結果から見ても、建物の下敷きになった人は基本的に自分の力で出てこなくてはならない。自分で出られない人は警察や消防の力を頼る。自分の力や隣近所の人の力で出られる人は、公の力を頼ってはいけない。少しでも多くの命を救うには、自力で出ることが大切。行政も被災するので、期待してはいけない。まずは生き埋めにならないことが最も重要。

                       講師:金沢大学人間社会学地域創造学類准教授・青木賢人

阪神淡路大震災では、それほど深刻な被害に遭ってない人も、権利として食物の配給などを主張し、しまいにはおにぎりなどが捨てられるようになったと聞いた。今日明日の食物に困らない人にとって、毎回毎回同じようなおにぎりにはすぐに飽きがきたようだ。多くの人が救助されないまま亡くなっていった一方でこういった事実もあるのだ。私たちはなにかというと、権利を主張しがちだ。税金を払っているのだから当然とばかりに。あるいは、知り合いや近所の人に頼るくらいならお金を出してサービスを受けたいとか、国や県や市がなんとかすべきとか。災害のことだけでなく、あらゆることにこういった傾向が見られる。地震などの災害時になれば、何百年に一度という惨事ならなおのこと、自治体は何をしてるんだ!?と公の力を頼っても生き残れない。自己責任という言葉は公の責任を免責するものではない。都合よく解釈されがちな言葉だけに、しっかりと自己責任の意味を考え全うしたい。
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2011年09月30日

口をポカーンと開けていたらあかんということだな

       避難所での感染症予防は「鼻呼吸」と「姿勢」がカギ

今年3月、震災から2週間後の新聞記事の見だしである。
風邪やインフルエンザなどの感染症を予防するには、手洗いとうがいが大事だといわれる。しかし避難所などでは、うがいや手洗いは十分にできない。マスクだってあるとは限らない。そんな状況で、細菌やウイルスの侵入を防ぐには、口をつぐんで鼻で呼吸することが重要であるという。口呼吸だと、細菌が喉の粘膜に感染するが、鼻呼吸だと、鼻毛が細菌などをブロックするため口呼吸より感染しにくいということだ。
口呼吸の危険性はよく聞く。特に最近は、子どもでも大人でも口を半開きにして、ぽかんとした表情の人が多い。いつも口が開いていると、口腔内も乾燥し、余計に細菌やウイルスが繁殖するそうだ。私も意識して鼻呼吸をするよう心がけている。とはいえ、ぼけーっとしてるとついつい口は開く。仕事中口が開くのは頭がまったく働いていないからだ。
もうひつは姿勢である。丸まって寝ていると、細菌などを押し流す働きをする分泌物がのどに滞りやすいので、横になっているときも立っているときも姿勢をよくするとよいとのこと。アレルギーのせいもあり、鼻が出たり詰ったりということがよくある。そうなると鼻呼吸はできない。口で呼吸するしかないので、喉が痛くなる。私は鼻汁、鼻づまりをまず治さないといけないな。
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2011年06月11日

被災地でのボランティア活動について

ノンフィクション作家の溝口敦が日刊ゲンダイでの連載「斬り込み時評」で被災地のボランティアについて書いている。5月の連休に宮城県岩沼市で2日間ボランティアをしたときのことである。以下溝口氏の体験・感想である。

震災に遭う遭わないは天地の差ほど大きな不公平だが、震災から復興するにもやはり不公平、不平等がある。つまり被害の小さな住戸ほど、ボランティアを活用する機会に恵まれ、被害の大きな住戸や田畑にはほとんどボランティアの手が入らない。極端な話、一家全滅の家は、誰もボランティアを受け入れたいという意思を示せないのだから、手付かずのまま放置される。破壊の激しい家は素人のボランティアでは危険という理由でこれまた放置される。地域のボランティアセンターがこうした判断をしてボランティアたちに作業を割り振るのだが、結果、ボランティアに許される支援活動は比較的大きな家の庭先や菜園、畑、温室などの泥かきに限られる。岩沼市では求人150〜250人のところ、ボランティアが毎日500人以上も殺到した。朝8時半の受付だが、あぶれないよう5時半過ぎにはスコップを並べて順番取りをするほどだった。8時過ぎにその日の求人数が発表されるが、それまでの間、長時間待たされたボランティアも人数外ならせっかくの善意を活用されることなく、午後の部に期待するしかない。泥かきは必ずしも楽な仕事ではなく、若い人もきつく感じていたほどだから、詰め掛けたボランティアを全員採用して人海戦術でやるべきだろうが、なにより人員を作業現場に運ぶ車持込の運転手(これもボランティア)の採用数が少ない。挙句、センターは仕事探しで御用聞きのように被災住戸に電話をかぇる。その結果、中にはこれまで家人が何十年と横着して泥がたまった排水溝の泥さらいまでボランティアにやらせていた。仙台港から釜石まで海岸線をたどって北上したが、まだボランティアが入っていない激甚被災地がいくつもあった。

実際に被災地に行ってみないとわからないことばかりである。必要なところに必要な手をまわすというのは、日常生活や仕事でもうまくできているとは言えない。ましてや未曾有の大地震である。メディアではきれいごとと不安を煽るようなことばかりを言っているが、このようなミスマッチについてはあまり報道されていない。とにかく行けばいいとばかりに人員を送り続けている自治体もある。ボランティアツアーなるものもあるようだ。私もなにかをしたいと思っている。自分にできる最善のことはなんだろう。
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2011年05月29日

ボランティア初心者は場をわきまえねばなりません

震災ボランティアツアーというのがあるそうだ。週刊誌SPA!が元ネタのネットニュースには、被災地でお客意識のボランティア初心者たちという見出しで記事が出ていた。GWは特に盛り上がっていたようだが、一方で受け入れ体制の不備やボランティアが勝手な行動に出るなどの事態もあったとか。取材班が参加したお値段2万円1泊4日(2日バス泊)のツアーでは、持ち主のわからない写真整理の作業を割り当てられた参加者が、張り切って場を仕切りだしたが、要領がつかめず不完全燃焼っぽい雰囲気になってしまう。午後になると仕切っていた参加者はいなくなっており、別の場所で荷物整理の作業をしていた。現地の人に聞くと、こっちのほうをやりたいと言ってきたとか。写真整理のほうは、結局人手不足もあり中途半端なままであった。仕切っていた人は「ニュースを見て居ても立ってもいられなかった」と言っていたらしいのだが、何も考えずに動くと(しかも一時の激情で動くと)こういうことになってしまうようだ。別のツアーでは、側溝の泥かきの作業中にツアー客同士で写メを撮ったり動画インタビューを始めたりと、なんか観光気分丸出しであり、その横では東北各地から個人で集まってきたボランティアが黙々と作業をしていたらしい。積極的に作業をしているとはいえ、お金を払っているというお客意識があるのか、被災地ではKYな言動が少々目立った、とのこと。場をわきまえるというのは大事なことである。人の葬式で勇み足になるのとちょっと似ていないこともないか?軽はずみな私としては、戒めとしたい。
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どんな援助が必要とされているのか

特養に勤務している。県の要請で震災ボランティアに行ってきた職員の報告会が先週行われた。スライドで被災地の写真を見せながら、活動の報告をしていた。避難所で生活しているのは高齢者や年配の夫婦が多く、若い人はほとんどいないそうだ。要介護状態の人はあまりいなく、介護の援助は必要ないとのこと。それでも県は各施設からまだまだ介護職員を送り出すつもりらしい。なんかここでもミスマッチが起きてるなと思った。なぜ介護の援助を必要としていないところへ介護職員を送るのか?県内の女性介護職員が被災地で、背中を何者かに錐で刺されるという事件が起き、余計に依怙地になって続けているようにも思う。報告をしていた職員に、今その避難所ではどんな援助が一番必要だと思うか聞くと、「お金」「食べ物」「心のケア」だと言う。義援金の分け方では相当もめたらしい。隣の町はそれほどひどい被害には遭っていなく、お店もあるのでお金があれば買いに行けるし、自活の目処も立つからだ。食べ物の分配でももめているとのこと。避難所にいる人だけでなく、家で生活している人にも食料は配給されるらしいのだが、避難所まで取りに来る、家まで届けるといったことでの行き違いなどの他量や種類についてももめることが多いようだ。だが一番深刻なのは精神的なダメージであろう。避難所では、自分たちでやろうという意欲はほとんどみられず、まかせっきりの雰囲気があるとのことだ。援助の手腕を問われるのはこれからであろう。すでに救援物資は続々と届いているのだ。誰かを助けるというのは簡単なことではない。一生庇護するわけにはいかないのだ。今自分にできることってなんだろう。
posted by みょうみょう at 20:01| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月11日

津波も恐いが火事も恐い

節電のためろうそくを使い、キャンドルナイト。なんだかロマンチックなかんじですが、これだけ余震だなんだと揺れる日本列島でキャンドルは危険極まりないものかもしれない。私もときどきキャンドルナイトとしゃれこんでいたが、だんながそばでハラハラしながら見ており、もういい?そんで終った?ちゃんと後始末しとけよ、とうるさかった。現代人は火を使い慣れていない。昔の人とは違うのだ。日常生活に直火が必要だった頃とは違うのだ。節電だ、ロマンチックでいいなどといって火事にでもなったら大変である。節電もロマンもへちまもない。アロマで火事発生というのも聞いたことがある。ろうそくのような超原始的なものはやめたほうがよい。物が多く整理整頓もされていない狭い部屋では危険すぎる。被災地近辺では、消防隊員もろうそくの使用は絶対やめてほしいと言っているそうだ。阪神淡路大震災のときは地震に伴う火事で多くの人が亡くなった。津波も恐ろしいが、火事だって恐い。地震・雷・火事・おばちゃんというじゃないか。ろうそくはやめよう。キャンドルナイトは地震がめったにない地域の人にまかせよう。
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2011年04月25日

なくしたものは大きいが、得たものもある。

聖教新聞・名字の言より

「なくしたものは大きいけど、得たものもある。それは人のやさしさです。」大震災で被災した友の声が心に残る。どの街にも、家族や家を失いながら、他者のために尽くす無名の英雄がいた。これは、マスコミが海外の声として引用するように「日本人だから」できることなのか。略奪や暴動が起きるのが普通なのか。そうではない。人間は大災害のとき、助け合い、自分を投げ打ってでも人に尽くすようにできている。 − 略 - 人間にとって「自分だけは助かりたい」という利己心よりも「人とつながりたい」という思いのほうが、より本質的な欲求なのである。


災害に遭わないにこしたことはない。困難がないのはありがたい。だが、人生何が起きるのかわからない。自分が思いもせぬ災難に遭ったなら、それでも人のために動けるだろうか。困難にぶつかったとき、だからこそ協力して乗り越えると踏ん張ることができるだろうか。大なり小なり困難は生きていくうえであるのだ。そんなとき、誰かのせいにしていないだろうか。自分以外の全てが悪いと思っていないだろうか。自分だけが不運であると嘆いて、被害者のように思っていないだろうか。

『災害ユートピア』という本が静かな注目を集めているらしい。メキシコ大地震、9.11テロ、ハリケーンカトリーナなど、大災害を検証し、普段の秩序が失われたとき、すばやく自然発生的に、相互扶助の共同体が立ち上がることを書いた本である。
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2011年04月22日

東電社員はだまって働け

東電の女性新入社員mixiで「文句あるなら電気使うな」
東電が悪いわけじゃ…美人選手らの“身内擁護”ブログ大炎上!
東電社員が炎上覚悟でブログUPも炎上で閉鎖
東電社員「炎上覚悟」でブログ執筆 計画停電で「被害者だと考えるのやめて」

ネットニュースにこのようなものが並んでいた。いずれもすごい批判を受けてるそうだ。東電社員の人たちはみな、「私たち東電は」というような言葉を使っている。「私たちは」いっしょうけんめい頑張っている。「私たちは」被災者のひとの支援を第一に考えている。「私たちは」社員一丸となって事態の収拾に向けて頑張っている等々。正論であろうが、東電社員がこの時期そのようなことを言うことがどれほど多くの人の怒りをかうか、恨みをかうか、火に油を注ぐ結果になるということがわかっていなようだ。正論を言ったところで聞いてもらえなければ意味がない。ブログに書いてもあっという間に閉鎖では伝わらない。男はだまってサッポロビールだかカツカレーだか知らないが、少し口を閉じてればいいのにと思う。なかには、誰のおかげで電気が使えると思ってるんだといった、傲慢な勘違い逆切れブログもあるそうだ。会社を背負っているという自負は社会人として立派だが、お客さんを見下すようではおしまいである。
posted by みょうみょう at 08:59| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

節電はポーズなのか?

先日、ラジオを聞いていると、リスナーからのこんなメールが紹介されていた。「現在節電、節電とやかましいが、節電をしている一方で、首をかしげたくなるようなこともある。まだ4月の中頃というのに、あるコンビニと、ある電車では、クーラーがかかっていた」こんなような内容であった。4月であっても、気温が20度を超えるようなときは、毎年クーラーはかかっている。私はクーラーが苦手なので、ちょっと暑いからってなんだい!といつも恨めしく思っていた。だが、ちょっとした暑さ寒さにもガマンができないのが現代人らしい。震災だからってそれは変わらない。節電が単なるポーズであることが露顕したようで、きまりが悪いかんじだ。私は今の自粛ムードを見ていると、23年前、昭和天皇が亡くなったときのことを思い出さずにはいられない。あの時も、なくなるまでの期間、自粛、自粛とやかましかった。亡くなったら亡くなったで、テレビがいっせいにそのニュースを延々と流すので、ビデオショップが大繁盛だった。今もあのときも変わらないのは、ポーズが幅を利かせていることだ。人目を気にしているのだ。人目をはばかってこそこそしているのだ。くだらない。人助けは、パーッと騒いで楽しんでお金を使って、そのお金を寄付するんじゃなかったっけ?金持ちがよくチャリティーパーティーとかしてるが、なんで今あれをやらないんだ?金持ちじゃなくたって庶民だって身の丈にあったお祭りをやればいいじゃないか。被災地のもの販売すればいいじゃないか。自粛とか言ってる一方で、被災地近辺のものを拒否して買わなかったり、すぐに使わない日用品を買い込んでみたり、何やってんだってかんじです。私が勤務する老人ホームからは、県の要請を受けて、今日から1週間男性職員2名がボランティアに行きます。2人は志願したわけではなく、指名されたのです。ボランティアとは、「自らの意思で行う」もののはず。施設の売名行為に利用されています。ハードな1週間になることは間違いないのです。無事を祈ります。
posted by みょうみょう at 07:26| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月28日

地震でも津波でも、やはり春休みの日曜日は人が多い

昨日は休みだったので、イオンへ出かけた。日曜日に加え、春休みでもあるため、人が多かった。いつもは閑散としているレストラン街も、この日ばかりは、店の前で席が空くのを待っている客が多くいた。ショウケースは‘節電中’で照明が暗かった。いろんなところに義援金の募金箱が置かれていた。なんだか不思議な気がした。今日本では未曾有の大地震・大津波で大変なことになっている。狭い日本ではあるが、ここ北陸ではガソリンが高いことや、インスタント食品が少ないこと以外、あまり影響がない。多くの人が亡くなっているのに、電気・ガスがなく苦しんでる人が多くいるのに、一方では、そんなことには全く関係なく日常生活が営まれている。考えてみれば当たり前のことかもしれない。毎日世界中で子どもが餓死したり、戦場で亡くなったりしているからといって、自分の日常生活を投げ打ってそこへ駆けつける人など、そうそういない。ほんの少しの援助だって惜しんでいる。それどころか、誰かの犠牲の上に自分の生活が成り立っていることさえ、知らない、考えない、見ないようにしている。私は自分が理不尽なひどい境遇に陥ったとき、世間の人を恨まずにいられるだろうか。幸せな人を憎まずにいられるだろうか。地震や津波は誰のせいでもない。運命とおもいあきらめられるだろうか。全てを失って、それでも希望を失わずに生きていけるだろうか。故郷を、家を失って生きていけるだろうか。テレビやラジオは少しずつ、少しずつ地震以外の報道を多くしている。いつか世間はこのことを忘れるのだろう。戦争を忘れてしまったように。
posted by みょうみょう at 20:53| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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