2011年12月30日

ダイヤモンドになれるかな

ダイヤモンドはたとえゴミ箱に捨てられていてもダイヤモンド

ダイヤモンドという言葉は、不屈を意味するギリシア語が由来

転んでも起き上がる。人が笑おうが胸張り進む。自分のやるべきことをやり抜く。この不屈がダイヤモンドだ。

どんなちいさな会社であろうと、どんな職場に配属されようと、けっしてくさっちゃいけない。自分がダイヤモンドになればいい。社会には、その人のことを見ているひとが、必ず一人はいる。

聖教新聞・名字の言より

私はようやくくさらずにがんばるようになってはきているが、まだまだだと思う。人のせいにしたり、自暴自棄になったりすることも多い。悲観的になったり…言うのは簡単だけど、実践は難しいからね。

ダイヤモンドか…ほんもの見てみたいな
posted by みょうみょう at 14:34| Comment(0) | 教え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

幸福は心の扉を開いて創るもの

青春時代は短い
人生は長い
軽薄な青春時代では 一生涯の幸福の
磐石な岩盤はできないことを 知っている

快楽を彷徨いながら 送る青春は
やがて 煙りになって
地平の果てに
消え行くことを知っている

不幸の魔は絶えず
みなの傍らに動き回る
不幸と言う破壊は 
奥深い偽善の口実を使いながら
いつも周囲に浮動しているのだ

幸福は夢のようなものではない
風が吹いてやってくるものではない

誰かが与えてくれるものでもない
確固たる 汝自身の魂の 
強き輝きの中にある
汝自身の 心の扉を開いて
幸福は創るものである

                      
池田大作


私はほんの数年前まで、幸福って夢のようなものだと思っていた
いつか風が運んでくるものだと思っていた
まわりの環境で幸・不幸が決まるのだと思っていた
いや、マジで、本当に
でもそれだと、ほかの人に判断してもらわないと
はたして、自分が幸福なのかどうなのかわからないから、かなり不便だね
幸福って言ってもらいたいばかりに
その人に阿ったり(おもねる)、諂ったりしてね(へつらう)
幸・不幸を自分の心で決められるって、ちょっと画期的
posted by みょうみょう at 09:35| Comment(0) | 教え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月23日

わかりやすい御書講義

先日近所のSさん宅で、地区座談会があった。新しく本部長になった男の人が御書講義をした。大百蓮華9月号に載っている「崇峻(すしゅん)天皇御書」である。私は御書講義が苦手である。いつも後半にあり眠たいというのもあるが、なによりも意味がわからず退屈なのだ。次のページの解説には池田先生の指導ものっていて、そっちのほうがよほどわかりやすいので、幹部の人の話を聞かずに下を向いて読んでいることがほとんどである。だが、先日の講義は非常にわかりやすくおもしろかった。日蓮大聖人がいくつの時、どのような状況の下で書かれたのか、時代背景はどうであったかということをきちんと説明してくれたからだ。実は私は全く不勉強で、四条金吾がどういう人なのかもずっと知らずにいた。四条金吾は職業武士として鎌倉幕府に仕えていたそうだ。信心のことで上司や同僚から疎まれ冷遇されていたとのこと。そんな四条金吾にあてて書いた手紙が今回の御書である。まわりがどれほど信心に無理解であっても、けっしてくさらず、まわりの人たちとの交わりを絶たず、みなのためにがんばらねばならないという教訓である。日常の生活を離れて信心はありえないということだ。
最後まで眠くならずに真剣に聞くことができた御書講義であった。自分の不勉強を人のせいにするのはよくないが、自分が人に何かを教える、説明するという立場で考えると、今回の講義は非常によい参考となった。声が大きく明瞭であることも大事だなと思った。人が話しているのを聞いていて、わからないな、つまらないな、と思っても、いざ自分が話すとなると、話すことに夢中で、相手がどのように受け止めているのかということまでは気が回らないのである。批判するばかりではなく、自分ならどうかという考えを常に持っていないといけないなと思った。
posted by みょうみょう at 20:42| Comment(0) | 教え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月10日

おしゃかさまの教え

古本屋でおしゃかさまの絵本を買った。おしゃかさまの生涯はなんとなく知ってはいたが、くわしくというかきちんとは知らなかった。おかしなことだと思った。私は小さなときから仏教徒である。浄土真宗信徒から日蓮宗信徒には変わったが、仏教徒であることにかわりはない。今までいったい何をしていたのか。小さい頃は日曜学校にも通っていたので、おしゃかさまのお話は絶対聞いているはずなのに全然覚えていない。宗教が生活に結びついておらず、教えがいかされていないようだ。絵本を読んでおしゃかさまが実はネパール人であることを知った。ずいぶん長生きだったこともはじめて知った。なによりも教えの根本をはじめて知った。人の悩みは「自分をいとしく思う」ことから始まるということ。つまりエゴであるが、このエゴを捨てることは難しい。だが、翻って考えると、自分にエゴがあるのなら、他の人にも当然エゴがある。エゴとエゴはぶつかることが多い。自分のエゴのために他人を害すれば他人のエゴは打ち砕かれる。では、自分のエゴを捨てる努力をすればよいのか?そうすることが修行なのか?そうではないとおしゃかさまは言っている。エゴを捨て去ることは難しく、またそうすることが人生の悩みをなくすわけでもない。ならばどうすればよいのか?人と協力していくしかないということなのです。人との協力によって自己の充実や実現を図るしかないということです。この世知辛い世の中、昨今の世界情勢を思うと、なんだか生ぬるいというか、中途半端な甘い考えのようにも思えます。でもそれがおしゃかさまの教えなのです。圧倒的な力で他を制することは可能かもしれないけれども、自分だけではなく他者の幸福も願うのが仏教なのです。仏教徒である以上自分さえよければという考えはあってはならないのです。又、おしゃかさまは議論のための議論というものを、人生の諸問題の解決には役立たない極端な考えとして退けています。日蓮宗も徹底して行動する宗派です。人のために動く、人の幸福のために動くのです。教えの根本がわかったからにはあとは行動のみです。残された時間はそれほどないのかもしれないのです。今度、明日からでは遅いかもしれないのです。今日、今からやろう。
posted by みょうみょう at 06:36| Comment(0) | 教え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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