2011年12月29日

競争って面倒くさいんじゃないか?

私は子どもがいないので、近頃の小学校のことなどとんと知らないのだが、聞くところによると、あんまし競争ってものをしなくなったようだね。運動会でも順位をなくしたり、勝ち負けのない競技?にしたり。競争はいかん!という風潮があるみたいだ。だが、テレビでTPP参加の議論を聞いていると、しきりに競争、競争って言ってないか?国際競争に勝つためとか、競争力を養うとかなんとか。クラスメート相手にさえ、かわいそうだからとかいって競争させないで、国際競争?プッ(笑)ってかんじですが。ブームなんでしょうか、国際競争ってやつ。でもさ、なんか競争ってなつかしい。ノスタルジーだ。私は小学生の頃までは確かに競争意識があった。中学生で薄れてきて、高校生では、海水に落としたインクぐらいで、社会人になってからは消え去った。世のなかも都合よく、バブル崩壊で景気が悪くなり、ガツガツしなくても覇気がないなどと言われなくなったのだ。ほとんどの人がそうじゃないのかな。貧困だ、ワーキングプアだとか言われながらも、とりあえず仕事あるし食べるものあるし家もあるしってことで、それでいいじゃんってことじゃないかな。今さら競争って言われてもね…きょとんとするんじゃないか?それかめんどくさ〜と思う。ぬるま湯ってなかなか出られないよ。競争って言葉じゃ釣れないと思うな。なんかいい釣り書(見合いみたいだな)ないのかね。
posted by みょうみょう at 06:29| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月28日

日が暮れるのも年が暮れるのもはやい

いつのまにかクリスマスが終っている…
といっても、忙しくてケーキも食べられなかった、というわけではない。
だんなが、食べななりません!といって、近所の激安スーパーで激安クリスマスケーキを買ってきたので、一応食べた。おいしいのか、おいしくないのかよくわからなかったが、私は一切れ食べて胸やけがした。だんなは、おいしおいしいと言って、いっぱい食べていた。
それはいい。問題はいつのまにか気づいたらクリスマスが過ぎて、もう年末であるということだ。(何が問題なのか…?)
当然ながらクリスマス関連のものは何一つ残っておらず、正月ムードのみだ。
クリスマスに対するこの極端な態度、仏教徒だが許せん!!
(ちなみに私は、カトリック系の乳幼児施設に勤務していたことがあるが、これぞクリスマス!正当なイエス誕生祝いとはこういうやつを言うんです!というクリスマスだった。修道院や聖堂が敷地内にある施設で、ちゃらんぽらんなクリスマスをやるわけにもいきませんが…)
さて、こんなことばかり言っていては、いつまでたっても本題にはいれないではないか。
なぜ、クリスマスねぇと思っていたら、次の瞬間年末、正月と怒涛のように進んでしまうのか?
夕陽って沈むのはやくない?砂丘の上に真っ赤な夕陽があるだろ?うわっ、きれい!そう思ってよく見える田んぼや、ときには海まで行くだろ?たいてい夕陽は沈んでいるんだ。残照だけ残してね。クリスマスから年末にかけてもこんなかんじなんじゃないか?

あんまし解決してないぞ…
posted by みょうみょう at 08:15| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年末って気がしないのは誰のせいだ?

なんか年末ってかんじせんねぇ。
昨日だんなと夕食を食べながら二人でしきりにぼやいた。
二人とも変則勤務なので、盆も正月もない。年末年始はいつもどおりの勤務だ。たまたま1〜3日休みに当たることもある。そのせいもあるだろうねと納得した。けどこの変則勤務、私もだんなも老人ホーム勤務なのでしょうがないが(私は特養の介護士、だんなは有料の調理師)、今はスーパーなどのお店や入浴施設、カラオケやボーリング、ビリヤードなどの娯楽施設など、サービス業はほとんどが変則勤務なのではないか。年末年始などないところが多いと思う。イオンも元旦から営業っていってるし。昔は盆や正月に働かなきゃならないとこっていったら、それこそ病院などの施設や消防署、警察それかその時期だけの商売だったんじゃなかろか。ジャスコなどのスーパーが元旦営業を始めたのはいつだったろうか。今ではちっとも珍しくないので、逆に休みだと、チェッやってないのかと思ってしまったりする。(自分がいつも変則勤務なので仕事帰りに普通に寄ってしまう)店が営業してるので食品を買い込むこともない。保存食を作る(買う)必要もない。だから正月気分にならないのだろう。だんないわく。テレビを見ると、年末〜、正月〜って気になるとのこと。そういう特集ばっかりやってるから。ところで、休まないで営業してるくせに、マクドまでが正月はあのおきまりの正月ミュージックをかけるのでほんとイラつく。いかん、怒りモードになりそうだ。それにしても、サービス業の人は年末年始休みたくないのだろうか…こんな仕事だしって割り切ってるのだろうか。行かななりませんと出掛ける人たち、店が休みだったら何してんだろ?昭和天皇が正月明けに亡くなったときはレンタルビデオ屋が繁盛したそうだ。
posted by みょうみょう at 07:27| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月12日

現状に甘んじるのにも飽きてきた

古本屋で高城剛の『「ひきこもり国家」日本』という新書をみつけて読んでみた。4年ほど前に出版されたものだ。私は高城剛といえば、沢尻エリカのだんなという認識しかなかったのだが、なんか色々活躍しているようだ。(略歴にいろんなのがのってたが、よくわからなかった…)本の内容は「日本はグローバリゼーションに乗り遅れている」「日本はこの20年ほど、全く世界に目を向けず引きこもっている」「地球規模で物事が動いているのに、日本は身内だけでこせこせやっている」といったもので、最初はなんか不愉快であったが、読み進むうち、10代の頃をなつかしく思い出してしまった。私は小さい頃から、海の向こうには何があるのかとても興味があった。海水浴へ行くたびに、海の向こうに思いを馳せた。成長するにつれ、日本は島国で海に囲まれており、海の向こうには外国があり、外国人が住んでいるということがわかり、その外国のことが知りたくてたまらなくなった。外国人ってどんな人たちなんだろう?会ってみたい、交流してみたいと強く思うようになった。海外ペンパルを紹介する機関があり、何人か紹介してもらった。イタリア、タイ、ガーナ、中国などいくつかの国のペンパルがいたが、長く文通を続けたのは(高校卒業まで続いた)シンガポールの中国系の女の子だった。英語で何枚も書いてくるので、いっしょうけんめい英語を勉強した。シンガポールについて勉強もした。だが、高校を卒業して、その子と疎遠になり、英語も全く使わなくなると、いつしか外国のことなど忘れてしまっていた。時代はちょうどバブルがはじけ、失われた10年が始まっていた。(今では失われた20年だが)物価はどんどん安くなっていった。チェーン店が増え、安い外食店が当たり前になった。服なども、バブルの時代のデザイナーズブランドが嘘のように、こじゃれたかわいいものが安く出回るようになった。そんな時代をありがたく思っていた。コーヒーは200円ぐらいで飲めるし、服はユニクロなどで1000円〜3000円ほどで買えるし、ホテルも安く泊まれる。物価がこんなだから、給料が安いこともあまり苦にはならなかった。家から出ない生活、小さな範囲での生活が心地よかった。10代の頃の外国へのあこがれなんて嘘のように、現状に満足していた。こんな生活に疑問を感じだしたのはほんの数年前のことだ。気づけば、お店はイオンなどのスーパーしかなく、なんかちょっといいものが欲しいと思っても、安物しかないのだ。デパートに行っても今はスーパーとあまり変らない。悪夢から覚めたように愕然とした。情報が氾濫しているこの世の中で、情報から目を背け、ただただ現状をよしとしていた。焦ってはみても空回り…そんな状態で、この本を読み、外国に強くあこがれた10代の頃を一気に思い出した。なんでこんなふうになっちゃったんだろ?ぼんやり考えてみてもわからない。ただ思うのは、「知りたい」ということだ。今の状況に甘んじているのは嫌だ。脱出したい。強くそう思う。さて、始めるか。
posted by みょうみょう at 19:49| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なくしていたのは心の余裕

聖教新聞・名字の言より

仕事、育児、家事に追われ、「時間がない」が口癖だったある女性。あるとき、4歳の娘に言われた。「時間はどこでなくしたの?一緒に探すよ」ハッとした。落し物がみつからず、困っているように見えたのだろう。きっと笑顔も消え、知らず知らずのうちに心配をかけていたのかもしれない。なくしていたのは時間ではなく、心の余裕だった。以来、女性は「時間がない」という言葉を「充実しているわ」に置き換えるようにしたという。

私は「時間がない」という感覚こそあまりないが、「何かに追われている」「何かに急き立てられている」「手いっぱいでしんどい」という焦りのようなものはよく感じる。整理整頓が苦手なせいもあるが…(物だけではなく、人間関係なども)これも「心の余裕をなくしている」状態である。決心して机の上を片付けたり、ずっと先延ばしにしていたレポートなどを仕上げると、少し余裕が出てくるので、やる気の問題でもあるのだが。「心の余裕」などというものは、まわりの人にはどうすることもできない。家事や仕事、育児などは、どの程度を負担と感じるかは人それぞれだからだ。なので、意識してガス抜きのようなことをしないといけないのだろう。今日の午後、2歳の女の子と2時間ほど過ごした。実子としてわが家に迎える予定の子で、今は乳幼児施設にいる。さくらちゃんというのだが、この子と絵本を読んだり、絵を描いたり、おままごとをしたり、慣れるための大事な時間とはいえ、無駄な時間と言えなくもない。だが、この無駄な時間が今の私には必要な時間とも言える。ちょっと退屈で時間を持て余したりもするが、そんなときはちょっと席を外してみる。戻ってみたら、主人になついていた。ついさっきまではチラチラ見てただけなのに…なんだ、私がいなくても大丈夫なのか、とホッとすると同時に悔しくもなる。こんなかんじで、息抜きとなるのだ。さくらちゃんは、「心の余裕を保つ」ためのお薬みたいなものである。よいガス抜きとなっている。
posted by みょうみょう at 18:44| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月27日

日々成長するってすごい!

児童相談所から特別養子縁組の話がきている。2歳半の女の子である。現在は乳児院で養育されている。先日2回目の面会を行った。最初は保育士に抱かれてぎゅーっと目をつむり、寝たフリ?をしていたのだが、30分ほど過ぎたあたりから、打ち解けだした。お絵かきをしていたのだが、鉛筆削りを指差して「これ何?」と聞くので、使い方を教えてあげると、おもしろいのか色鉛筆を次々に削りだした。ちゃんとゴミをティッシュの上にトントンと落としていた。終わりごろにはすっかりリラックスして、絵本やままごと道具を片付け、手をつないで一緒に歩いた。なんか感心してしまった。2歳半でここまでできるんだ〜と久々に驚いた。打ち解けてくれたことも嬉しかったけど、子どもというものが日々成長する生き物であることを思い出し、その不思議さに惹かれた。保育士をやめて5年以上経ち、すっかり忘れていた。今は老人ホームで働いており、それはそれで面白いのだが、子どもの面白さとは全く別物である。お世話している高齢者よりも、職員の成長のなさ(自分も当然含まれているが)に気持が暗澹とすることが多いなか、目を見張るような成長を見せる子どもの姿は本当に新鮮であった。保育士の仕事は二度とするつもりはないのだが、ほんの少し気持が揺らいだ。元々子どもが嫌になったとか、飽きたとかではないのだ。保育士をやめる人のほとんどがそうだとおもうが。保育界の様々なしがらみが嫌になってしまっただけなのだ。世の中の親というのは、こんなにも面白いことをしているのかと羨ましくなった。だが一方で、これは大きな錯覚、勘違いであるということもわかっている。自分の子どものことばかりしゃべる人(特に自慢話)はつまらないが、その気持はわからないでもない。成長が目覚しい10歳くらいまでは、ほんとに自分の子が天才に見えてしまうのだろう。なんといっても、大人の生きる社会は成長する人などきわめて少ないのだから。ぼんくら社員を1日見た後、我が子を見ればその成長の早さに感嘆するのも無理はない。保育士や教師は多くの子どもを見るので優劣がつくだけだ。職場では小さな子どもを持つ女性職員がよく子どもの話をしている。子どもへの愛情がよくわかる。まだ挫折や絶望を知らない無邪気な楽しさを感じる。さて、私が子どもに与えることができることは何だろう?愛情?保育士をしていた頃、上司から「あなたの愛情で子どもが窒息しそうだ」と言われた。結局のところ子どもへの愛ではなく、自己愛だったのだ。愛情が駄目ならあとなんだ?もう猶予がない。真剣に考えないと。
posted by みょうみょう at 20:01| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月31日

40歳からはじめる老い方の練習

『みっともない老い方』という本を読んでいる。私は今年で41歳になるので、そろそろこういう本を読んでおかないとな、と思った。著者は75歳の人である。著者が痛烈に批判しているのは、65さい以上の高齢者であるが、40代の人にも十分あてはまる。心して読まねばと思う。

高齢者ばかりでなく、いま、過去を懐かしむ人が増えている。昭和30年代の庶民の生活を描いた映画『ALWAYS3丁目の夕日』がヒットしたのは、そういう事情もあるのだろう。
どんなことにも、よい面と悪い面がある。
誰でもよい思い出をもっているから、思い出すことがあってもいい。だが、現状否定の気持が強いときに思い出すことは、「飾られている」ことを知っておいたほうがいい。そうでないと、記憶がどんどん歪められていく。


私は最近小さい頃のことがよく思い出される。なんだかとっても幸せで、毎日が楽しかったような気がするのだ。このブログでもよく小さい頃の思い出を書いている。書いてるときはそのことで頭がいっぱいで楽しい。だが、思い出すのは年に数回の楽しいイベントのことばかりだ。毎日の生活をあえて思い出すと、でてくるでてくる、嫌なことが…わかってはいるのだが、自然にまかせていると、自分の過去は美化した思い出だけになってしまうのだ。40歳は昔で言えば初老だ。近頃アラフォーだなんだと、若さを強調しているが、40歳はまぎれもなく老いの始まりである。肝に銘じねば。
posted by みょうみょう at 12:07| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月16日

岩木先生のお陰で国語好きになる

中学2年のときの国語の先生のことを書こうと思う。ずいぶん前に亡くなられたと聞いた。勉強は嫌いだったが、この先生の授業は面白く、国語への興味が持てた。短歌や俳句などを身近に感じることができたのも先生のお陰だ。形容詞や助動詞といった文法に関してもわかりやすく教えてくれた。勉強にはコツというのがあるみたいで(私はコツをつかむことができず、成績はいつも悪かったが)国語に関しては先生が教えてくれたおかげで、わりといい点を取ることができた。岩木先生という50代(たぶん)の男の人だった。私は中高年の男の人が苦手であったが、岩木先生は「お父さん」というかんじで好感が持てた。当時私が通っていた中学校は、校則が厳しくきちきちに管理されていた。教師は皆高圧的で、生徒になめられまいというピリピリした雰囲気があった。岩木先生は高圧的なところが全くなく、厳しい教師に対しても、まあまあ先生ちょっと落ち着いて、みたいなところがあった。(年配でベテランであったせいもあるが)タバコや飲酒に対しては、絶対駄目という態度は示しながらも(当然であるが)、「自分らが若いときは終戦のドサクサで、子どもでも拾ったタバコ吸うとったもんやがな」「酒でも飲まんとやっとれんかったな」「今は平和やし、そういうことには厳しくなったな、へへっ」と誰に言うともなくつぶやいたりしていた。芥川龍之介の作品を勉強しているとき、芥川の自殺について、「なんで生きとるんか、なんのために生きとるんか、そんなことを考えとるうちに、わからんようになって死んだんやな」「そんなもんなんででもいいがいや」「生きとるから生きとるんや。そんでいいがいや」と言っていた。私はこの言葉をずーっと覚えていて、いきづまると思い出す。なぜ生きるのか、生きる意味を考えることは大事だが、考えてわかるものでもないのだ。わからないからといって絶望して死ぬのもなんか、ってかんじだ。長い人生の中でみればほんの短い期間であったが、10代の頃に先生のような大人に出会えたことは大きな糧となっている。
posted by みょうみょう at 20:46| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月13日

交通事故で亡くなった友達二人のこと

22年前の夏の終わりに友達二人が交通事故で亡くなった。短大生だった子と、銀行に勤めていた子である。銀行に勤めていた子は高校時代はわりと真面目だったが、卒業した後はじけたように遊びだした。二人でつるんでよく男漁りをしていたみたいだ。事故に遭った日も、数日前に出会った男二人とドライブ中であった。男の運転する車がスピードオーバーでカーブを曲がりきれず横転したのだ。運転していた男と助手席に乗っていた男は軽症ですみ、後部座席に乗っていた友達二人は、一人は即死、一人は病院で亡くなった。こんな死に方だったせいか、同情されつつも、遊びまわった挙句に死んだとか、自業自得だとか心無いことも言われていた。私は死に方がどうこうよりも、ほんの数日前に会っていた友だちがもうこの世にいないということに呆然としてしまった。連絡を受けて中学時代の友達と家を訪問するときも、なんだか実感がなく、どこかへ遊びに出掛けるようなわいわいがやがやした雰囲気だった。他の友達も同じだったのではないかと思う。即死した子は顔に傷もなくきれいだった。父親は娘の友達の前で気を張っていたのだろう、「死んでもきかん(気の強い)顔しとるな」などと言っていた。もう一人の子は脳挫傷で亡くなったせいか顔の傷がひどいようで、修整されていた。その上からなんとか化粧を施したようで、痛々しい姿だった。その後のお通夜も葬儀もあまり実感がなく、悲しいという気が起きなかった。今でも実感がない。年齢の節目になると、二人の歳を重ねた姿が思い描けないため、不思議な気分になるだけだ。自分はおばさんになっているのに、彼女たちは今も19歳の若いおねえちゃんで、それが永遠に続くかのように思っている。皮肉なことにその通りになっている。生きている人間は状態が変化するが、死んだ人間は変わらない。死んだ時点で止まってしまうのだ。生きているのに時間が止まっているのかと思う人がいるが、死んだ人と何か関係があるのだろうか。死んだ二人の友達のことを思うとき、残された家族のことをいつも考える。下世話なことであるが、多額の賠償金をもらっていると思う。娘を失った悲しみと、思いがけず手にした多額のお金は人をどのように変えるのだろうか。家族のその後については聞いたことがないのでわからないが。
posted by みょうみょう at 08:40| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人気のない浜を一つ確保しておくとよい

週刊ブログテーマ
今回のテーマ:海の思い出

わが家から海は比較的近い。車なら5〜10分ほどだし、自転車でも30分以内である。夏はよく一人で泳ぎに行く。水着の上にティーシャツを着て、泳いだ後は濡れたまま家に帰りシャワーである。泳ぐのは30分〜1時間ほどである。あまり人気のある浜ではないので、土日以外は人が少ない。ちょっとさびしいかんじはするが泳ぐにはちょうどよい。真冬以外は海水浴じゃなくてもよく海を訪れる。浜辺を散歩して貝を拾ったり、船に腰掛けてぼんやりと波の音を聞いたり。心が落ち着くのだろうな、と思う。数年前、勤務している老人ホームで、担当ユニットのおばあさんが亡くなったとき、すごく心が乱れた。自分が夜勤のときに転倒して骨折し、入院していた。その入院中に肺炎を起こして亡くなったのだ。もしあの時転倒していなかったら入院もせず、肺炎も起こさなかったかもしれない…そんなことをウジウジと考えていたらすごくつらくなって、いても立ってもいられなくなった。どうするというアテもなく、ただ海に向かった。浜辺に置いてある舟に座って、ただただ波の音をずーっと聞いていた。途中涙がどんどこ出てきたり、腹が立ったり、悲しくなったりして、一人でわあわあやっていたが、季節はずれの元々人気のない浜に人もおらず、1〜2時間経ったころにはすっきりしていた。海って不思議だなあと思った。それと、一人になれる時間や場所というのが今の時代ほとんどないということに気づいた。自分を取り戻したくても、そのための時間や空間がないのだ。もし海がなかったら私は立ち直れなかったかも…山も近いのだが山は海ほどの開放感がないからな。(こう考えると昔の人や、田舎の人のほうが孤独の自由を多く持ってるみたいだ)海にはこれからもお世話になるだろう。思い出を語るにはまだ早かったかもしれない。
posted by みょうみょう at 08:07| Comment(0) | こんなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
リンク集

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。