2011年06月22日
説教が上手にできてこそ一人前のお坊さんですよ
私の実家は富山の在所にある。住民のほとんどが浄土真宗の信徒である。葬式や法事にくるお坊さんはいつもいっしょで、小さいときから日曜学校でもお馴染みのおじさんである。私が小さい頃は地域での活動で十分であったらしいが、今では需要が少なく他の県まで出向くことが多いということだ。数年前、祖母が亡くなったとき、お坊さんは新潟に出掛けていた。お通夜には来られるということであったが、帰る途中の道で事故があったらしくどうもお通夜に間に合いそうにないと連絡があった。ピンチヒッターでお坊さんの奥さんと、すぐ近くに住むお弟子さん?が来ることになった。お弟子さんは私が小学生の頃から知っているお兄さんである。お兄さんといっても今では40代半ばのおじさんだが、お坊さんとしてはまだなんだか危なっかしいかんじがする。葬儀のとき一緒に読経しているのは見たことあるが、説教は聞いたことがない。読経までは心配なかったのだが、その後の説教が心配になった。お兄さん、うまくできるのかな…なんといっても突然のことだ。案の定お兄さんはしどろもどろになっていた。つっかえつっかえ、祖母の生前のこと(働き者であったとか、しっかりものであったとか)などを話すのだが、代わってあげたいくらい窮していた。お坊さんの話を聞きながらあんなに気を揉んだのは初めてた。いつもならお釈迦様の話だの、どこぞの教訓などを聞かされて足の痺れと眠たさ、退屈さと闘っているのだが、あのときばかりは我がことのように汗をかいた。話がなんとか無事すんだときはほんとにホッとした。後日寺の娘である友人にこの話をすると、笑いながらも寺の娘らしく厳しいコメントが返ってきた。お坊さんは突然話をふられても対応できるように、常日頃から話のネタなどを仕込んでおかなければならないとのこと。彼女のお父さんは、よく知ってますね〜そんなこと、というほど若者向けの話題に通じている。説教のこやし?のため新聞や各種雑誌は欠かさず読んでいるとのこと。お兄さんはまだまだ修行が足りないようだ。
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