2011年07月31日

勝間さんの原動力は貧乏恐怖だったのか…

西原理恵子の『この世でいちばん大事な「カネ」の話』が文庫本で出た。さっそく買って読み返してみた。3年ほど前理論社から、よりみちパンセシリーズで出たときに図書館で借りて読み、いずれ購入して蔵書にせねばと思いつつ買ってなかったのだ。文庫の解説は勝間和代である。ちょっと意外である。勝間さん自身も、自分がこの本の解説を書く資格があるのか迷ったと言っている。なぜなら著者の西原理恵子とは違い、恵まれた環境で育っているからだ。今の生活はもともと親から受け継いだお金や教育に底上げされていて、自分の努力はなにもない、とのこと。(ちょっと謙遜しすぎ…だっていくら才能や環境に恵まれていたといっても、勝間さんの努力って並大抵じゃないでしょ)ある意味、自分自身が正のハンデを持って生まれてきてしまったことに、なんともいえない負い目を感じています、ともあるが、これなんか鼻につく。解説自体もネタバレになりそうな、各章ごとの説明があったりして、つまんない解説ではあるのだが、勝間さん自身のことが書いてあるところだけは、へーっ、そうなんだと思い、ちょっと面白かった。勝間さんは20代前半まではお金に苦労はしなかったそうだが、お父さんが会社を清算したことをきっかけにして、「カネ」に強くこだわるようになったらしい。カネが続かないと家族も不安定になり、従業員も幸せにできないことを痛感した。あのお金がまわっていない当時の実家の雰囲気を忘れることができないとのこと。勝間さんの、あのものすごい努力の原点がわかったようなきがした。勝間さんは今でも「無収入生存年数」に強いこだわりを持っているそうだ。収入がなくなった途端生活が立ち行かなくなるというのは確かに怖い。勝間さんの原動力は貧乏・カネなし恐怖ということか…本の内容について書こうと思っていたのに勝間さんの話になってしまった。別のとこで書こう。
posted by みょうみょう at 11:08| Comment(0) | お金のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

これって、セクハラではないか?

老人ホームに勤務している。要介護度の高い重度の人が多いせいか、利用者同士の色恋沙汰や、艶のある話などはほとんどない。だが、ばあちゃんたちの「女」の部分を感じることはある。年を取っても女は女、やはり男に対しては女とは違う感情を持っている。排泄介助や入浴介助をしてもらっていて、恥ずかしい部分をすでに見られてはいても、イケメン職員に対しては目が潤んでいたり、ポーっとした顔で眺めていたりする。わがままなことを言ってみたりもする。「よっ、色男!」とヤジをとばしたりもする。つまり、カッコいい男を前にして舞い上がり、はしゃいでいるのだ。そういう利用者は数少ない「会話のできる人」なので、男性職員のほうも手持ち無沙汰なときには、相手になることで間が持つので、ついつい調子に乗って悪乗りしたり、かまいすぎたりする。その結果、「自分の都合の悪いときに」訴えが多くなり、あの人最近わがままがひどいとか、トイレ行き過ぎなどと文句を言うことになるのだが…私が勤務する特養は男性の比率が高く(特に私の担当フロアは)、このあいだ遅番で出勤したら、スタッフがみんな男で、一瞬精神病院かと思った。しかも全員ある女性利用者を取り囲んで、わあわあ騒いでいた。その利用者が男性職員を相手に、ちょっと卑猥なことを言ったりして(実は言わせている)、それに対して、ゲラゲラ笑ったり、そりゃまずいよ〜などと言って困ったフリをしてみせたり。男性職員みながそうではないのだが、勤務年数の長いベテランの職員がそういうタイプなので、仕方なくのっている人もいれば、合わせておくほうが得と判断してのってる人もいるし、何も考えずにのってる人もいる。あまりにもバカらしい光景である。その女性利用者は、自分から卑猥なことを言う人ではない。ただ相手に影響されやすいところがある。だからこそ介護者は気をつけねばいけないのだが…まわりの人間がみな自分を見てウケている、楽しそうにしている。皆が自分に注目している、自分の言動に注目している、そのことが嬉しいだけなのだと思う。だが、その言動がエスカレートしてきているのが気になる。フロアの責任者(年配の女性)が退職することで、ますますモラルが低下すると思うとゾッとする。逃げ時かもしれない…
posted by みょうみょう at 10:38| Comment(0) | 介護の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月30日

プラスチックはちゃんと燃えるぞ。つまり燃えるゴミだ。

職場でその日のゴミ当番にあたるたび、分別のバカバカしさにうんざりする。燃えるゴミと、プラスチックなどのリサイクルゴミに分けて捨てなきゃいけないんだが、一体何のために分けてるんだろうと真剣に悩む。プラチは再生するためだろう?でもきったねぇプラチゴミを捨てるとき、どうやって再生すんだろう?って思わないのかな。思わないんだろうな。思えば燃えるゴミに入れるな。それとも、汚いけど、でも…プラスチックだし、燃えるゴミに捨てるのはいけないよね?と思い、汚い汚いプラチをポンってリサイクルのとこに捨てるんだろうね。家庭のゴミを町内で出すときは、しっかり洗ったものじゃないと苦情がくるのだが…施設のゴミはきったね〜もんもちゃーんと誰かが分けてるのかな?そんなわけない。おそらくリサイクルゴミも燃えるゴミもなんもかもいっしょにして燃やしてしまってると思う。そんならなんで分けてんだろ?こりゃいっぺん真剣に追跡調査ををしてみないといかんな。そういえば偽善エコロジーとかいう本もあったな。誰かがこれで儲かってんだろうけど、なんでみんな得もしないのに分別するんだろう?もしかしてなんか得してんのかな?だとしたらどんな得してんのかいっぺん追跡調査をしてみないとな。どやって?無理だって!それにしても、分別されたゴミをいっしょくたにして燃えるゴミに放り込むのは気分がよい!ざまーみろだ!
posted by みょうみょう at 22:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「お疲れ様」と「ご苦労様」

先輩や上司に対しては、「ご苦労様」ではなく「お疲れ様」と言いなさい。20歳の頃勤めていた会社で、年配の女性社員からそう教えられた。以来なるべく、上司に対してだけではなく、同期や後輩に対しても「お疲れ様」で通している。なんとなく「ご苦労様」は偉そうなかんじがして言えない。今朝のラジオでこの話題がでていた。世間では私が教わったとおり、目上や先輩、上司には「お疲れ様」と言うのが常識だそうだ。たまに、そのことを知らない新人がいて、上司に向かって「ご苦労様」とやって、すごくむかつかれたりしているらしい。だが、はたしてほんとうにそれは正しい使い方なのか?間違った言葉の使い方が、世間一般に浸透しており、いつの間にかそれが正しくなってしまっているということは、日本語ではよくあることだ。この「お疲れ様」と「ご苦労様」について調べた人がいるということだ。どうやら江戸時代までは「ご苦労様」というのはもっぱら目上の人に使われていたらしい。それが明治だか大正だか昭和だかになると、一転「ご苦労様」は目下のものに使われるようになったとか。なぜか?当時流行った時代小説の中で、武士が家来に対して「ご苦労であった」とねぎらいの言葉をかける場面があり、それが広まったとか。しかし実生活では、武士が家来をねぎらうときは「大儀であった」であり、「ご苦労であった」とは言わないそうだ。誤った使い方が広まってしまったようだ。だが、「ご苦労様」が目下に対して使う言葉だと、ここまで浸透している以上、会社では上司に対し「お疲れ様でした」と言っておくのがいいだろう、と締めくくっていた。ところで、中学・高校の部活では「ご苦労様でしたー」と先輩・同期・後輩問わず使っていたが、まったく違和感がなかった。上司に対しても「ご苦労様でございました」なら全然失礼じゃないような気がする。少なくとも「お疲れ様!」より丁寧だと思う。人が「お疲れ様です」と挨拶しているのに「は〜い、お疲れ様」はなんかなぁ…これなら「ご苦労様です」のほうがよほどいい。当たり前と思っていることでも実はそうではないのだといういい例でした。
posted by みょうみょう at 21:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

新人だけの問題じゃないんだって!!

老人ホームに勤務している。職場内で内線電話を取ったらとりあえず部署の名前を言うというのは常識かなと思う。自分の名前も言うのが一番いいのだろうが、私はなかなか言えない。自分あてにかかってくることなどなく、誰がとってもいいような用事・用件がほとんどだからだ。ところで、自分が内線電話をかけるときはどうだろうか。私はどんな用事であろうが、自分からかけるときは必ず部署と名前を言う。だが、それをしない人がわが職場には非常に多い。新人は内線電話などかけないから、いわゆるベテランである。挨拶にはとにかくうるさい職場なのだ。といっても、新人から先輩への挨拶限定であるが。内線電話をかけていきなり用件を言って、ガチャ切りである。介護部長自らがそうである。さすがに介護部長の声はわかるが、声のわからない人が「〇〇さんいたら連絡して」とか言うと、この人新人OLか?と思ってしまう。日刊ゲンダイには、よく新入社員のとんでもぶりが載っているが、問題は何年経っても成長がないことではないのか?ベテラン社員のとんでもぶりもきちんと載せてくれないと不公平だぞ、ゲンダイ。ああ、新人OLにイラッとくる、電話・挨拶・敬語…全部だめならせめて言い訳ぐらいちゃんとしてくれ!!とあるが、だ〜か〜ら〜新人だけじゃないんだって!教育係りのベテランがため息まじりに愚痴っているのが載っているが、そのベテランも同じなんだって!!そういえば、最近介護部長が、若い子ならまだしも年配者やベテランでも挨拶できないもんがいるとかなんとか言っているが、今気づいたんですか?と思います。あなたといっしょできちんと挨拶のできない人間ばかりなんですよ。何年お勤めかな?
posted by みょうみょう at 16:23| Comment(0) | 愚痴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「正しい殺人はあるのか?」サンデル教授の哲学教室

先々週海で泳いだ帰り、久しぶりに哲学館に寄ってみた。涼しい館内の図書室で、サンデル教授の『ハーバード白熱教室』を読み始めた。のっけから「殺人に正義はあるのか」だった。その日すぐに書店で本を買い求めて続きを読んだ。集中できるのは1時間が限度なので、なかなか進まないが、講義のすすめかたがとても魅力的ではまってしまう。サンデル教授が最初に警告を発しているが、哲学は実生活に害を及ぼす。今まで当たり前と思っていたことが当たり前ではなく、疑問を抱くようになると日常生活のすべてが正しくないように思える。正義について考えるための最初の話。5人の命を救うために1人の命を犠牲にすることは正しいか。ほとんどの人が正しいとした。次に少し条件を変えてみた。すると今度はたとえ5人の命を救うためであろうと1人の命を犠牲にするのは正しくない。絶対間違っているという結論になった。このようにして、なぜそうなのかということを歴史上の哲学者の考えを例にとりながら考えていく。社会問題を論じるときも、職場で仕事について議論するときも、なんかいつも人から借りてきたような考えを、あたかも自分はそう考えているというふうに思い込んでしまっている。なぜそう思うのか?そのことを説明してみよといわれたら、実のところなぜそう思うのかわからない。なんとなくというところか。サンデル教授は学生の考えについて、なぜ?そう思う根拠は?さっきの意見と違うが、その違いがどこからくるのか説明してほしいというふうに、なんとなくなどという答えは許さない。なかなか読みすすめることができずにもどかしいが、一夏はこれで持ちそうだ。ところで、殺人について正義の有無を問うとき必ず、生きねばならない、生きるためには仕方がなかったという理由がでてくる。さて、生きることは義務なのだろうか?憲法で権利は保障されているが、納税や勤労のように義務であるとはどこにも定義されていない。義務でもないのに生きるために他者の命を奪うのは正しいことなのだろうか?
上巻の半分しかいっていないが、下巻はすでに買ってある。どんな結末が待っているのだろう?
posted by みょうみょう at 15:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

昭和5年12月10日の新聞「新愛知」

数年前ばあちゃんが亡くなったとき、箪笥の中を整理していたら、黄ばんだふるーい新聞が出てきた。もーっ、ばあちゃん20年も30年も前の新聞しきっぱなしにして〜と広げてみたら、なんと80年以上も前の、昭和5年の新聞であった。新愛知という地方新聞である。はて、ばあちゃんは愛知県になんぞ行っていたことがあったのか?お父さんに聞いてみるが、さあのぉ、女工の出稼ぎにでも行っとったがかのぉとのこと。ばあちゃんはまだ20歳前である。気が遠くなりそうだ。それはともかく、あまりによれよれでボロボロなため、のばして図鑑に挟んでおいた。以来すっかり忘れていたのだが、昨日急にその図鑑を見る用事ができ、本を開くと、しわののびた新聞がでてきた。さっそく読んでみると、雑誌『婦人公論』の広告、薬や洗剤の広告、病院の広告などが載っている。右から左に書いてあり、旧かなづかいなので非常に読みにくい。株式欄には日産、鐘紡などの名がある。陸軍の異動や朝鮮総督府の来年度の予算なども出ている。12月10日の新聞なので、「歳末捕り物全集」の見出しで、各地の物取り逮捕が載っている。なんか呑気なかんじだな。大竹博吉さんという人が(誰だろう?)冬のモスクワというタイトルで、回想を書いているのだが、「モスクワの並木公園は、春には小暗い木蔭から、ちゅっちゅっと接吻(キッスとルビがふってある)の音が漏れてくる!エロチシズムの修羅場だ」とあり、長閑だなあと思った。カフェの女給さんの生活なども書かれていて興味深い。タイトルは「女子大出身の女給さん」である。かつてこの新聞が世の中に出ており、ばあちゃんが読んでいたのかと思うと不思議な気がする。(ほんとのところ、ばあちゃんは読んでなくて、紙が貴重な時代だったので、なんかに使おうと思って持ってただけのような気もする)ひとときのタイムトリップであいた。
posted by みょうみょう at 15:25| Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ゆとり世代の困ったさんは国際的な問題なのか?!

またまたみつけました、ゆとり世代の困ったさん。しかも海外で。さっそく記事を紹介します。

香港でもゆとり世代が社会問題に「エアコン弱いから仕事辞めます」
(SPA! 2011年7月25日掲載) 2011年7月29日(金)配信

80年代半ば以降生まれの、いわゆる「ゆとり教育世代」が社会人になり、職場で数々の問題を起こしていることは、近年、日本で問題となっている。

しかし、事情はほかの国でも同じようだ。香港の経済紙『經濟日報』によると、香港で「80后」(1980年以降に生まれ世代)の新入社員やインターン生が引き起こす問題が社会的に注目を浴びているという。そこには「上司の言うことを聞かない」「出社拒否を繰り返し、復帰初日に辞表提出」「チームの上司や同僚は残業するのに、自分だけ残業しない」などなど、日本と共通の問題を抱えているようだ。

同紙に掲載された経営者や採用担当者の声を紹介すると……。

「10時出勤、19時退社なのに『門限が18時半なので、無理です』と堂々と宣言した新入社員の女性がいた」

「インターンとして雇った実習生を上海支社に派遣したら、初日から『ホテルの部屋が汚い、会社のエアコンが弱すぎる、同僚が嫌な人間だ』と不満を言い、配置換えを要求してきた女子大生がいた。5つ星の高級ホテルでも用意しろってこと? この世代の人間は自分たちが『消費者』という認識が強く、不満があればすぐ辞めてしまう」

「ある上場企業の副社長が、就職を控える大学生を前に『いかに一生懸命、勉強して今の地位を築いたか』と説いたところ、ある学生が『俺たちが求めてるのはワーク・ライフ・バランス。なぜ努力して出世しないといけないのか、俺たちは企業の奴隷じゃない!』と叫んだ。聞いていたほかの学生から拍手喝采が沸き起こった」

「香港から上海のメディア関連会社にインターン生として送り込まれた女学生は、上司に『仕事のために国際電話を使用します』と告げ、オフィス内でたびたび電話をしていた。しかし、実は香港にいる彼氏に長時間、長距離電話をしていたことが判明。会社側は数万元(数十万円)にも及んだ電話代を大学側に要求した」

どうだろう? 香港も日本も状況はそっくりのようだ。

同紙は「香港は80年代以降、高度に成熟した消費社会になったため、生活環境が豊かになったせい」だとしている。また、こうした問題は世界各国で起こっていると指摘する。世界中で蔓延しつつあるゆとり社員の問題は、地球規模の“課題”といえるのかもしれない

文/バーナード・コン(本誌特約)


日本だけじゃないどころか世界中で起きている現象なのか?!
世界中がゆとり教育を行ったのか?そんなわけないか…じゃあ、コンさんが指摘するように、高度に成熟した消費社会が原因なのか?おそらく韓国、中国あたりも同じようなものだと思うが、ロシアやブラジルなどの若者もだろうか?欧米の若者も同じようになっていたのか?世界各国の中身が気になるところだ。
posted by みょうみょう at 14:39| Comment(0) | 新聞・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

女と男のネットワークビジネス

先日久しぶりにエステへ行き、フェイスケアをしてもらった。顔を優しくマッサージしてもらいながら、仕事の愚痴を言ったり、真面目な話題を議論するのが楽しみとなっている。施術者は知人なので、ある程度気心もしれていて話しやすいのである。珍しくその知人が、悩んでいることがあると言う。友達がネットワークビジネスにはまっていて、大真面目に「トップに立てる」「すごい収入が得られる」と言っているらしいのだ。まだやりはじめたばかりで、知人に商品を売りつけるわけではないのだが、取り付かれたように夢中になっているのが心配なのだ。ネットワークビジネスといえば、アムウェイが有名である。私も大昔(20代前半の頃)誘われて一度会合に出たことがあった。職場にはアムウェイを副業としてやっている人がいるが、副業は自由だが、本業をもっとしっかりやってくれというような人である。それはともかく、知人が心を痛めているのは、「トップに立つ」ためには多くの人を犠牲にしなければならないという、当たり前のことに友人が気づいていないということである。誰もががんばればトップに立つことができる、誰もが高収入を得られると言うのだが、そうじゃないことは誰もがわかるはずなのだ。だがその友人にはわからない。なぜそんなことがわからないのか、それがくやしいのだと知人は言っていた。今は何を言ってもムダだから、しばらくは見守るしかないとのこと。「ネットワークビジネスは商品ではなく、人間を売るビジネス」とは知人のだんなさんの言葉らしいが、なるほどと思った。商品は実のところなんでもいいのだ。人間が必要とするものであればなんでもいい、買ってくれる人間を確保することが重要なのだ。ところでネットビジネの参加者は圧倒的に女性が多いそうだ。トップはもちろん男である。イケメンであったり、やさしかったり、気配りがすごくうまかったり、とにかくそういう男らしい。なるほど。教祖様みたいなもんだな。トップに立てないことにはすぐに気づくはずだが、何十年も気づかない人もいるからな…本職に力を入れるか、もちっとマシな副業をみつけてくれたらいいんだけど。
posted by みょうみょう at 21:49| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

人の心を知る

「人の心を知る」(本田宗一郎著『やりたいことをやれ』より)

商品は人間を相手にする。買ってくれる客は人間なのである。人間の心を理解し、喜怒哀楽を理解し、不満や希望を知らなければ、大衆に受けいれられる商品を、創造し生産することはできない。

自動車を作る人間の言葉である。

私は老人ホームに勤務している。老人介護についての勉強はほとんどしたことがないが、保育士養成校で子どもと福祉について学んだ。教官はみな口をそろえて言ったものだ。保育は人間相手の仕事だ。商品相手のほかの仕事とはわけが違う。職業に対する誇りであろうが、どこかに「だから偉いんだ」という傲慢さがあるように思えてならなかった。介護業界も同じである。物ではなく人間を相手にしている、だから簡単じゃないんだ、専門性が必要なんだといった、屈折した傲慢さがあるように思う。確かに介護はズバリ人間相手の仕事だが、自分が日頃相手にしている高齢者を、まぎれもなく一人の人間であると、一度でも考えたことのある介護士はいるだろうか。いないだろう。人間相手のエキスパートである介護士は自動車屋にも劣るというわけだ。

本田宗一郎は別の著書で、次のようなことを言っている。

本当は儲けたいというか、自己保身から一歩も出ていないのに、表だけは無理にとりつくろう。どうして、自己保身なら自己保身で、それをはっきり打ち出す勇気がないのだろうか。昔の愛国者気取りで、業界のためになんていわないで、どうして自分の繁栄のためにといわないのだろうか。業界のために、自分が犠牲になるつもりで、物を作ったり会社を経営したりしているのではないはずだ。

施設長は、社会福祉法人としての役目だとか地域社会のためにとか、とかくそいうことを言いたがる人である。利用者から「ここの園長さん、見たことないわ」といわれるほど現場に顔を出さない人である。さっ、お話を、と言われたときだけ恭しく、もったいぶって上段から話をする人である。自動車屋のほうがなんぼかマシである。
posted by みょうみょう at 21:21| Comment(0) | 本田宗一郎語録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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