2011年05月30日

がんばれ自分!

なんか最近やることに追われていっぱいいっぱいになっている。あれもしなきゃこれもしなきゃと、気ばかりあせって、そのくせ行動が伴わずパニック状態になっている。そこで、自分を元気づけることにする。浅田次郎の『僕は人生についてこんなふうに考えている』より抜粋。二足のわらじを履いたからといって、人間の力はけっして半分にはなりません。真剣にやれば、むしろ二倍になります。そのくらい人間は普段ぼやっとしたり、つまらないことをしている無駄な時間が多く、しかも頭を使っていません。体も使っていません。自分のキャパシティがこれでいっぱいと思うのは思い込みに過ぎません。人間には無限の可能性があるのです。(勝負の極意より)どうやら私は泣き言を言ってただけみたいです。やる気がでないだの、時間が足りないだの、愚痴と泣き言は言うだけただで、ラクなんだな。よし、今日からがんばるか。自分に対してならいくらでもがんばれって言ってもいいもんね〜

私のお得意やる気フレーズ

「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」はいはいはい!とにもかくにも前に進むしかないのですね!
posted by みょうみょう at 21:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たまには違うことをやってみよう

5月病なのだろうか。今日は夜勤明けの次の日で仕事が休みなのだが、1日中夜勤明けの日のように眠く、何かをしようという気になれない。意欲がわかない。食欲もあまりない。(普段よく食べているので、比較するとってことだが…)ダラダラと本を読み続けたり、ボーっとしているうちに1日が終ってしまった。5月病というのは、新入社員じゃなくても、異動したばかりじゃなくても、なーんも変化がない職場でもなるんだろうか?自分には関係ないと思っていたが、症状があてはまるのでそうかな、と思った。気分転換の方法を100ぐらいリストアップしとかないといけないんだった。いつもと違うことをするのがいいんだな。よし、まずは仕事場へ行く途中に競馬場があるので今度の開催日に馬でも見に行くか。パチンコもたまにはいいな。家の近くにダスラーがある。スロットもいいな。ボートピアはまだ建設途中だ、って賭け事ばっかりじゃないか!プチ旅行や一人で飲みに行くのもちょっとした緊張感があっていいな。今年はまだ海を見てないので近くの海岸まで行ってみるか。哲学館にも長いこと行ってないな。哲学の道をあるいて、むずかし〜本でも借りて読んでみるか。すっごい場違いなとこへすっごい場違いな格好で行くのも挑戦してみたいとこだが、いいアイデアが思い浮かばないな。こうやって書いていると、いかに毎日同じことばかりを繰り返してるかってことを思い知らされるな。5月病にもなるな、これじゃ。人間ってのは、放っておくと同じことばっかりやってしまうもんなんだな。意識して面白いことをしないと心が硬くなり、干からびていくってことだな。5月病は、SOSのサインということだ。
posted by みょうみょう at 21:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

帰る家があることの幸せ

外は風が吹き荒れている。夜勤明けで帰ってくる時は、朝なのに夕方のような暗さだった。なんだか気持が落ち着いた。天気がいいと、家にいるのがもったいない気がして、でも疲れと眠さで何もできず、損をしたような気持になるのだ。だが、こんな天気の日は自転車で出掛けることもできないし、洗濯もできない。ただ寝るだけでよい。そう思うと心の重荷が取れた。台風のように吹き荒れる風も、家にいるという安心感をいっそう強くする。家に守られているんだと安心する。夜勤明けはことさら我家にいるということが嬉しい。車でほんの20分ほどの場所であるが、家に帰れないというのは大きなストレスだ。家に帰りたいと言って、声をあげて泣いているおばあちゃんがいた。それはわがままなのだろうか?もしそうならなんとつつましやかなわがままか。私には帰る家がある。そのことが本当に嬉しい。
posted by みょうみょう at 21:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石川啄木「飛行機」

ナツメ社の「名詩の絵本」をパラパラとめくっていたら、石川啄木の詩を見つけた。

飛行機というタイトルがついている

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病病みの母親とたった二人の家にいて、
ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ…

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

そら高く飛ぶ飛行機を見て、少年は何を思ったか

啄木の詩にしては暗さを感じさせない、希望の見える詩だ

なんだか嬉しい
posted by みょうみょう at 21:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ボランティア初心者は場をわきまえねばなりません

震災ボランティアツアーというのがあるそうだ。週刊誌SPA!が元ネタのネットニュースには、被災地でお客意識のボランティア初心者たちという見出しで記事が出ていた。GWは特に盛り上がっていたようだが、一方で受け入れ体制の不備やボランティアが勝手な行動に出るなどの事態もあったとか。取材班が参加したお値段2万円1泊4日(2日バス泊)のツアーでは、持ち主のわからない写真整理の作業を割り当てられた参加者が、張り切って場を仕切りだしたが、要領がつかめず不完全燃焼っぽい雰囲気になってしまう。午後になると仕切っていた参加者はいなくなっており、別の場所で荷物整理の作業をしていた。現地の人に聞くと、こっちのほうをやりたいと言ってきたとか。写真整理のほうは、結局人手不足もあり中途半端なままであった。仕切っていた人は「ニュースを見て居ても立ってもいられなかった」と言っていたらしいのだが、何も考えずに動くと(しかも一時の激情で動くと)こういうことになってしまうようだ。別のツアーでは、側溝の泥かきの作業中にツアー客同士で写メを撮ったり動画インタビューを始めたりと、なんか観光気分丸出しであり、その横では東北各地から個人で集まってきたボランティアが黙々と作業をしていたらしい。積極的に作業をしているとはいえ、お金を払っているというお客意識があるのか、被災地ではKYな言動が少々目立った、とのこと。場をわきまえるというのは大事なことである。人の葬式で勇み足になるのとちょっと似ていないこともないか?軽はずみな私としては、戒めとしたい。
posted by みょうみょう at 20:38| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どんな援助が必要とされているのか

特養に勤務している。県の要請で震災ボランティアに行ってきた職員の報告会が先週行われた。スライドで被災地の写真を見せながら、活動の報告をしていた。避難所で生活しているのは高齢者や年配の夫婦が多く、若い人はほとんどいないそうだ。要介護状態の人はあまりいなく、介護の援助は必要ないとのこと。それでも県は各施設からまだまだ介護職員を送り出すつもりらしい。なんかここでもミスマッチが起きてるなと思った。なぜ介護の援助を必要としていないところへ介護職員を送るのか?県内の女性介護職員が被災地で、背中を何者かに錐で刺されるという事件が起き、余計に依怙地になって続けているようにも思う。報告をしていた職員に、今その避難所ではどんな援助が一番必要だと思うか聞くと、「お金」「食べ物」「心のケア」だと言う。義援金の分け方では相当もめたらしい。隣の町はそれほどひどい被害には遭っていなく、お店もあるのでお金があれば買いに行けるし、自活の目処も立つからだ。食べ物の分配でももめているとのこと。避難所にいる人だけでなく、家で生活している人にも食料は配給されるらしいのだが、避難所まで取りに来る、家まで届けるといったことでの行き違いなどの他量や種類についてももめることが多いようだ。だが一番深刻なのは精神的なダメージであろう。避難所では、自分たちでやろうという意欲はほとんどみられず、まかせっきりの雰囲気があるとのことだ。援助の手腕を問われるのはこれからであろう。すでに救援物資は続々と届いているのだ。誰かを助けるというのは簡単なことではない。一生庇護するわけにはいかないのだ。今自分にできることってなんだろう。
posted by みょうみょう at 20:01| Comment(0) | 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女子ってなんじゃいな?30過ぎたら婦人です

女子という言葉についてぜひとも言いたいことがある。辞書には、未婚の若い女性、女の子、一般に女性とのっている。女をさすことは間違いないのだが、子どもや少なくとも年齢的に若い女を意味していると思う。最近この女子と言う言葉がやたらと目に付く。特に30代女子という言い方。雑誌やフリーペーパーなどで女子会という言葉がよく使われているが、30代ははたして女子なのか?未婚・既婚問わず、30代は主婦であり母親であり婦人というかんじがするのだが。だが、世間ではそうではないらしい。職場の30代の女が、自分のことを「女の子」と言うのである。40歳の私はどん引きしたが、どうも彼女が特別というわけではないらしい。今の時代30代は女子であり、女の子なのだ。少なくとも本人たちはそう思っている。私はこの女子という言葉、学校を思い出させるので嫌いである。女子はこっちに並べ、女子は男子の半分だ、とかなんとかよく指示されていたっけね。ところで、40代、50代はどうなんだろう、って女子のわけないか。職場の40代、50代の女の計4人で風呂入ってご飯食べたら、若い子から「婦人会したんですか」と言われた。そうなのよ!これこれ!これぞピッタシの言葉。小さい頃からよく聞くこの言葉。お母さんたちが集まって何かするのは、決まって「婦人会」だった。今の女にはこの婦人という自覚がないのである。女子なんかよりよっぽどいいよ。女子は気持悪いよ。30代女子だって、40代女子は気持悪いと思うだろ?未婚であろうと、子どもがいなくても、ある程度の年齢になれば大人としての責任を果たさねばならないのである。女子などといって若ぶってる場合ではない。
posted by みょうみょう at 19:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

梅雨よりもうっとおしいアラフォー少年

「不惑」になっても大人になれない。アラフォー少年、20代OLから総スカン!先日の日刊ゲンダイの記事からです。

40歳前後の男性社員が20代のOLから疎まれているらしい。何かと言うと「俺たちの世代はさ〜」と同調を求めたがる。「たまには若いもん同士で飲もう」と張り切り、若手の飲み会に参加したがる。すぐにバブル世代と比べて、いかに自分たちが不遇かを言いたがる…若い世代からも年配者からもうっとうしがられているようだ。知らぬは本人たちばかりで、周囲からはかなり手厳しい批判がきている。いつまでたっても言動が子どもっぽい。若者ぶりたがる。一昔前ならピーターパン症候群(大人になりたくない症候群)と診断されたかもしれない。どこか他力本願で、大人になんとかしてほしいって甘えを感じる。思春期の少年みたいな、「中二病」をこじらせたような男、なぜかアラフォーに多い等々。私の周りにはあまりアラフォー男がいないので、実感はないが、この特徴はアラサー、アラフィー、アラカンの男女共に見受けられる。今後ますます増殖すると思われる。私は今40歳でアラフォー真っ只中である。見た目はご多分にもれず若い。まだ若いつもりでいるのだろう。20代の頃と着る物にあまり変わりがない。知らぬは本人ばかりで、周囲の人間からは若作りのおばはんと言われているのだろうか。人のフリ見てわがフリ直せだな、気をつけよう。
posted by みょうみょう at 18:22| Comment(0) | 新聞・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

憂いのある乙女に石川啄木はほどよく合う

週刊ブログテーマ
今回のテーマ:好きな作家さん
正確には「好きな」作家ではないが、ここでどうしても書いておきたいので書くことにする。誰って、石川啄木に決まってるでしょ、って勝手に決めてます。私は啄木カルタを持っているのですが、中原淳一の絵が描いてあるとってもかわいいやつなんです。憂いのある可愛い乙女に啄木の暗い歌がよく合っています。中学2年のときに国語の授業で短歌というものを習い、そこで啄木のことを知りました。東海の小島の磯の白砂に、われ泣きぬれて、蟹とたはむるだの、いのちなき砂のかなしさよ、さらさらと、握れば指のあひだより落つだの、いかにもネクラ(こんな言葉が流行っていました)そうで、事実ネクラだし、暗く悲惨な短い人生を送って、暗い日記と暗い歌を生きた証に残してホンットに暗い、テンション下がるヤツだと思う。啄木の奥さんが姑とうまくいかず、啄木が母と嫁の板ばさみで苦しんでいるというのも、我家を思い起こさせて嫌だったな。中学2年の多感な年頃にこんな暗いヤツが入り込んできて参ったよ。だからこそ、教科書に載っていた啄木のある歌が強烈に印象に残っていて、多少のいい間違いはあっても、長い間ずーっと好きな歌として、頭の中というか心の中に残っていた。その歌とは、不来方のお城のあとの草に臥て、空に吸はれし十五の心 である。明るい希望のある歌だと思った。啄木のような陰惨な人生を送った人間でさえも、十五の頃には未来に対し、明るい希望があったんだなと、なんかまるで唯一の救いのように感じるのだ。啄木は青い空を見ながら、よもや自分の人生があれほどまでに苦労の連続になろうとは夢にも思わなかったであろう、そう思うと胸がしめつけられた。小さな子どもや、まだまだ若い10代の人たちを見ていると、啄木に感じたのと同じような、切ないというか、何と言っていいのかわからないけど、何かを感じる。若いので絶対にわかりっこないし、わかったときにはもう遅いのだけど、どうしてあげることもできないもどかしさというか…でも自分の未来は明るく前途有望と思う権利は誰にだってあるもんね。最期に寂しく暗い歌をもうひとつ… 青空に消えゆく煙、さびしくも消えゆく煙、われにし似るか
posted by みょうみょう at 12:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

おじさんだって就活のバカヤローだ

一昨日の聖教新聞・家族で考える就活と人生プランより

現在の就職難は、ミスマッチが大きな原因といわれています。人気企業に応募、エントリーが集中し、宝くじなみに採用確率が悪くなっている一方で、地方や中小企業への応募が少ないため、採用に至らない状況が生まれています。

大学なんかも同じような状況になっているのではないでしょうかね。偏差値の低い学校は学生集めに頭が痛く、国公立や有名校の倍率は10倍以上になるなど。就職も進学もなんでこんなことになってしまうのか。日刊ゲンダイでは、バカ学生特集をしており面白くも深刻な問題であることがわかった。インターネットで簡単にエントリーできるため箸にも棒にもかからない学生が多過ぎて、企業側が対応に追われているとか。一昔前なら落とされていたような学生が比較的マシということで採用になったりするらしい。バカぶりをいくつか紹介すると…
履歴書を待合室で書く学生があまりにも多く、そのための部屋を用意した企業もあった。地方から大きなスーツケースやリュックでやってきてその場で着替える。その場でワックスなど使用し、身だしなみを整える。面接官に向かって「ここは何をなさってる会社ですか」と聞く……私はおじさんは嫌いであるが、こんないまどきの若者というか馬鹿者を相手にしなきゃいけないおじさんたちにちょっと同情した。
posted by みょうみょう at 20:38| Comment(0) | 新聞・雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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